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2015.03.24

【連載】『平成26年度卒業記念特集』 第61回 山本修平/競走

『W』の誇りを胸に

 正月の風物詩となった東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。往復217.1キロに及ぶレースの中で最も過酷を極めるのは、山上りとすら称される5区で間違いない。箱根の象徴ともいえる難敵に3度挑んだのが山本修平(スポ=愛知・時習館)だ。中学生の頃から憧れ続けたワセダでの4年間は、誰よりもエンジに誇りとこだわりを持って駆け抜けた一瞬の夢のようであった。

 愛知の進学校である時習館高校から1年間の浪人生活を経てワセダに入学した山本。現役時には不合格となったものの「ワセダしかない」という思いは揺らがない。念願かなって競走部の一員となった山本が、頭角を現すのに時間はかからなかった。5月の関東学生対校選手権で早くもエンジを身にまとうと、9月の日本学生対校選手権の1万メートルで6位入賞。大学でも結果を残せたことは、大きな自信につながった。その後の学生三大駅伝にも1年生ながら全てに出走。箱根では「天下の険」に挑んで区間3位と瞬く間にチームの要の1人となる。

『天下の険』に挑み続けた山本駅伝主将

 2年生になるとトラックのタイムで自己記録を更新するなどさらなる成長を披露。一方で駅伝では抜群の安定感を発揮し区間上位に名を連ねるも、区間賞やチームとしても優勝に手が届かず主軸として悔しさを味わった。続く3年目は自分自身でも不調を自覚する苦しいシーズンに。そして雪辱を誓い臨むはずだった箱根は、直前のアキレスけんの故障によって出走回避を余儀なくされた。もがき苦しみながら迎えた最終学年、山本は競走部創部100周年の駅伝主将に就くこととなる。

 当初はケガの影響もあり、出場すら危ぶまれた春のトラックシーズン。しかし節目の年の駅伝主将であるという自覚が、山本に妥協を許さなかった。結果こそ満足いくものではなかったが、4月からレースに復帰できたことには自身でも一定の評価を与える。史上初の出雲全日本大学選抜駅伝の中止という波乱で幕を開けた最後の駅伝シーズンでは、地元で開催される全日本大学駅伝対校選手権において自身1年ぶりの駅伝で区間2位の好走。序盤から遅れを取るチームの流れを変えるべく孤軍奮闘する。だが2年分の思いを胸に臨んだ箱根路は、序盤からペースが上がらず順位を落とすまさかの結末に。4年間追い求めた優勝は結局かなえられなかった。

 「ワセダにいる以上は全員がエースでなければならない」と語り、エンジを背負う自覚を選手に求めてきた山本。大学時代の借りを返す舞台はことし全日本実業団対抗駅伝大会を制した強豪トヨタ自動車だ。地元の名門で「常にトップだけを目指す」という意気込みを胸に、次なる目標への挑戦を始める。紆余(うよ)曲折を経てたどり着いた憧れのワセダでの4年間は、決して順風満帆のものではない。しかし記念すべき100周年の駅伝主将は誰よりも『W』に強い気持ちを抱き4年間の旅路を走り終えた。

(記事 三井田雄一、写真 藤川友実子)

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