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2015.01.09

【連載】『NEW ERA』 番外編 岩間貴弘主務×岡田稔基新人監督×押川智貴トレーナー

 チームを陰で支える仕事人がいる。今回スポットを当てるのは、岩間貴弘主務(法3=東京都市大付)、岡田稔基新人監督(スポ3=埼玉・川越東)、押川智貴トレーナー(スポ3=長野・諏訪清陵)の三人。選手からの信頼も厚いスタッフたちはどのような思いで野球部を支えているのか、それぞれの立場から熱く語っていただいた。

※この取材は12月20日に行われたものです。

選手がやりやすい環境を整える

ケガをした選手のリハビリも、押川トレーナーが担当している

――新チームが発足して1ヶ月が経ちました。現在の手応えはいかがですか

岡田 ある程度予想通りです。11月は紅白戦をやりました。バッテリーとクリーンアップというチームの軸がごっそりいなくなった状況でどう試合になるかというのを試したかったのですが、やはり予想通り、点は取れない、圧倒的に抑える投手もいないということで、選手一人一人がレベルアップをしていかないと勝てないというのをみんなが感じたと思います。そういった面では順調です。

――改めて4年生が抜けてみてどういったことを感じましたか

岡田 一番は戦力が抜けたという部分ですね。4年生は基本的に明るくて、ある意味バカできるというか、元気がありました。新チームになって最初のほうは静かだなと感じました。

――チームの新たなムードメーカーは見つかりましたか

岡田 新4年の寺本(雅弘、スポ3=東京・早稲田)や金田(大志、教3=兵庫・明石)だと自分は思います。

――冬の時期は具体的にどのような練習を行っていますか

押川 いまの時期は一番、気温が低いことを懸念しています。特に12月、1月はチーム全体として体作りに専念しています。今、ケガをしない体作りというのを目指しています。離脱者が特に秋のシーズンに多くて、いままで満足に野球ができていた人たちが満足に野球をすることができなくなり、さらに離脱してそれが優勝を逃してしまった一因でもありました。ケガをしない体作りというのを重点的にやっています。野球のほうでも応用的なことはそんなにやっていないです。(冬は)やれることも限られてしまうので。

岡田 基本の捕る、振る、走るという感じですね。

――ケガ人が多いとトレーナーとしてはやはり責任を感じてしまいますか

押川 それは感じますね。ケガをするのは選手で、選手が一番痛い思いをすると思いますが、少なからずケガをするまでの過程はトレーナーが見るべきことなので、そこでなぜ気付けなかったのかと感じますね。それがチームの勝利へ影響を与えてしまうと、かなり責任を感じます。そういった意味で、ことしの秋はかなり反省点がありました。特に軽井沢キャンプから離脱者が出てしまって、早い段階から気を付ければ良かったなと思いました。

――普段の練習中ではそれぞれどのような仕事をされていますか

岡田 自分は基本的に練習メニューを考えて、それを選手たちにやらせています。ノックを打ったりもしています。一番の仕事はメニューを決めることなので、当日監督さんに言う前に主将の右京(河原、スポ3=大阪桐蔭)や重信(慎之介副将、教3=東京・早実)、内田(聖人副将、教3=東京・早実)とかに意見を聞いて、それをもとに監督さんのところに持っていくようにしています。

押川 トレーニングの時間とランニングの時間があって、野手は主に岡田がやってくれているので、トレーニングとランの時間だけ自分が野手の方を担当させてもらっています。投手の方では投球練習以外、トレーニングとランの時間なので自分は投手の方を中心に見ています。ボールが当たったり、選手が倒れたりなどの非常事態のときはすぐに駆けつけるようにはしています。あと、ケガ人がいるときは主にリハビリやケガ人に対しての個人的なメニューがあります。ですが、いまはケガ人がいないので、全体を大まかに見ることができています。

岩間 マネージャーは選手と行動の時間帯が違っています。練習中はずっとこの(安部寮の)事務所にいて基本的に練習を見ることはないです。部の運営、例えばお金の管理やスケジュール決めなどをやっています。あとは監督のお世話全般ですね。キャンプをいつからにするかを監督と調整するなど、監督と接する機会は多いです。ですから、練習、練習外というくくりはあまりなくて、ひたすら与えられた仕事をやり続けている感じですね。

――主務、トレーナーとして自身の現在の仕事ぶりをどのように感じていますか

岩間 やっている仕事はあまり変わってはいないのですが、主務になって一番感じるのは決めることが多いなということです。副務のときは4年生(当時主務)の指示に従って、その人の後ろについて自分に与えられた仕事をただ処理すれば良かったのですが、主務になって運営面で何をするにもまず自分が決めて、それからチームの方針が決まっていきます。やはり、学校に行くときの服装であったり、部内の決まりであったり、少しでも変な決まりを作ってしまうと部員から「それはなぜ」と聞かれてしまうので、そうした面ですごく気をつかっています。気疲れしてしまいますね。

押川 自分は結構早い段階から主務、学生コーチ、新人監督とミーティングはできていたので、新チームに向けてかなり準備をしていました。新チームになるまでは忙しかったのですが、(新チームに)なってからは準備していた通り計画的に進められているので、いまはそこまで忙しくはないです。ですが、人数的な問題で、もともとトレーナーが4人いましたが、4年生が引退されて半分の2人になりました。そういう面では少し忙しさはあります。4年生が引退されるとどうしても人数的な部分で忙しくはなってしまいますよね。

――主務と学生コーチは割と選手と監督をつなぐ部分だと思いますが、その点についてはいかがですか

岡田 監督の意向をくみつつも選手がやりやすい環境を整えてあげるということが一番だと思っています。監督側に付きすぎてもダメですし、選手の意見を鵜呑みにしすぎてもいけないので、そのあんばいは昨年の直原さん(大典、人4=高知・土佐)を見て、結構勉強させていただきました。

岩間 運営に関して選手の意向はあまり関係がなく、まずは監督の意向を第一に考えています。その意向をいかに選手に負担をかけないようにするかを考えて伝えています。基本は監督の意向を第一にして、本当におかしいときだけ監督に進言をしています。自分はあまり選手の意向を考えたことはないです。

――新人監督としてはチームの士気やチームをまとめる部分に大きく関わると思いますが、何か意識はされていますか

岡田 新チームが始まる2週間前くらいに、野村克也さんの本を読みました。その中に「集団の中の『個』という話があって、それぞれ立場はあるが、その中で個性を考えるのだとありました。いまの野球部の中での自分の個を考えたときに、一番はチームの方向をぶらしてはいけないことで、そこだけはしっかり持とうと思っています。あとは、主将の右京は影響力のある人間なので、右京が一言発言すると締まる感じなので。きょうもそういう場面がありました。それに関しては選手に助けてもらってることもあります。

岩間 部を円滑に回すというか、たとえば連絡網を一つ回すことでも早めに回すことを意識しています。そういうところをきっちりやっていかないと選手が混乱しますし、細かいところをしっかりやってみんなが混乱なく回っていれば、それでいいので、そういうのを意識してやっています。自分の仕事は円滑に回すことなので、全てのことにおいてそれを第一にしています。

――1ヶ月経ってみて自身の役職で予想と違った部分はありましたか

押川 いままでは先輩がいてくれたので、主に監督と接するのが4年生の先輩でした。今度は自分が一番上の学年になって、監督や選手と話すことがいままで以上に増えたというか、自分なりに増やしましたね。岡田と同じになってしまいますが、監督の意向をくみつつ、選手の考えもきちんと聞いて両者納得するかたちが一番良いと思っているので、それをなるべく目指しています。1ヶ月から2ヶ月弱経ちましたが、監督や選手と会話する量をかなり増やしました。もちろん行動や練習態度を見てやる気があって取り組んでいるか、嫌そうにしているかはわかります。ですが、話を聞かないとわからないので、話をきちんと聞いてあげます。かつ、自分の考えも組み入れて、どうしていくのがベストなのかというのを常に考えてやっています。

岡田 一番は先輩がいなくなり、物事を決定するうえで自分が最終的な決断を下すことが多くなったので、先ほど岩間が言っていたように気疲れが想像以上でした。

岩間 気疲れもありますし、副務であったときより主務になってからは監督と接する時間がすごく長いので、それは本当に疲れますね。結構付きっきりな感じなので、それが本当に疲れますね。監督さんは社会人で何年も(プレー、指導を)されていた方で、自分の考えがあまりまとまっていない状況で監督のもとに行くと、「それはおかしい」と言われます。そういうのが勉強にはなりますが、指摘を受けることが多いのでやはり疲れますね。あとは、外部の方と接することが多くなりました。部のことを結構言われますし、良い意見も厳しい意見もいただいたりするので、その対応は大変で気を使っています。

プレーする立場を離れて見えてくるもの

笑顔を見せる岡田新人監督。メニューを考案し、練習の指揮をとっている

――それぞれの役職のやりがいは何ですか

押川 学生トレーナーの立場に就かせてもらって3年目になります。この二人は途中から役職に就いたので、二人に比べて自分が一番長いです。もちろん最初は全くわからないことだらけで、先輩がほとんどやってくれて、大変な部分はありました。その中でも、たとえば選手がどこか痛いというときに、自分なりにこう改善すればいいのではないかと提案して、そのあと痛みがなくなって満足にプレーができたり、あとは、こうすればこういう選手になれるよと提言して、それが実際に試合で結果が出たときに、先輩後輩問わず、選手から「おまえのおかげでできたよ」と言われたときに本当にやりがいを感じます。それが一番楽しいですね。

岡田 自分にとっては結果が出ないとやりがいというか自分の役割を果たせたとは思えないでしょうね。いまはみんなが下を向かないように声掛けをしてあげることですね。優勝したときにみんなで喜びを分かち合えたらいいです。

岩間 普段はやりがいを感じる間もなく過ぎていくので、あまりやりがいを感じていないです…。(笑)やりがいとは別になってしまいますが、(主務に)なると宣言して、そのあとに一人一人と話をさせてもらいました。そのときに、自分の中で(主務になる)決心をしていたのもありますが、頑張ってくれと声を掛けてもらったので、頑張ろうという気持ちになりました。一人一人と話し合えたのはいまでも自分の支えになっています。やりがいは優勝して胴上げしてもらったときに感じると思います。(笑)

――主務、新人監督になられた経緯は

岩間 マネージャーの話は1年の夏くらいから出て、秋の早慶戦の終わりには(結論を)出すように言われていました。そもそもみんな野球をやりたくて入っているので、誰もやりたくなくて、もちろん自分も全然やるつもりはありませんでした。当初は違う人が候補に挙がったのですが、マネージャーをやりきれずに部を辞めてしまいました。それがちょうど昨年の年明けのころでした。それから期間が少し空いて、自分も頑張って練習をしていました。自分は野手だったのですが、右京であったり、丸子(達也、スポ3=広島・広陵)であったり、そして投手には有原さん(航平、スポ4=広島・広陵)もいて、吉永(健太朗、スポ3=東京・日大三)、内田とすごい人たちがいました。普段練習をしていて、自分はメンバー外だったので、練習に入らずに、バッティング中だったら守備だけをやっていたりしました。毎日毎日バッティングの守備をやるという日々を送っていました。そういう日々を送っているうちに、自分の実力ではレギュラーは厳しいことはわかってきたので、このまま4年間ずっとこのポジションにいて、何か貢献できるのかと考えたときに、もっと貢献できるマネージャーになろうと思いました。それから少しずつ考え始めましたね。まずは茂木(栄五郎、文構3=神奈川・桐蔭学園)に相談して、特に誰か決まっていたわけではなかったので、「いいね」と言ってくれました。薄々感づいたころから少しずつ心のどこかで決心はついていたので、最後はミーティングにおいてみんなの前で「やります」と伝えました。みんなに「いいね」って言われて決まりました。(笑)高校卒業するときに、野球部の監督から早大でレギュラーになるのは無理だから何か4年間で残して終われと言われていました。自分もこのままメンバー外では何もできないと思っていたので、そう考えたときにマネージャーをやってみる価値はあると思いました。

岡田 自分が早大に来たのは、野球で日本一になりたいというのがありました。トレーナーとして入部しましたが、1年、2年とやっていく中で学年の現状を見て、自分は普通にやっていたつもりだったのですが、自分の姿勢や態度を評価してくれる人たちがいました。そこで日本一になるためにはと考えたときに、すごく異例なケースだとは思いますが、自分がやった方が良いのではないかと思いました。最初から推してくれる人が何人かいて、その人たちと一緒に協力してやっていけばできることなのではないかと思いました。自分がやるしかないだろうと思っていました。話し合いの最初の方では色々言われましたけど。実際学年のみんなで腹を割って話し合うことができたので、(練習中に)自分が指示を出したときにもみんなが素直に聞いてくれることにつながっていると思います。それは自分にとってはプラスになる経験になっています。

――プレーする立場から離れて野球への見方が変わりましたか

押川 自分は高校3年まで選手としてやっていました。実際にプレーしなくなり選手を見ているときに、どうしてあのプレーができるのか、逆にどうしてあのプレーができないのかというのを選手に対して論理的にわかりやすく説明をしないといけない立場であります。自分自身が当時やっていたことを思い出して、その感覚を踏まえて言葉で、ときには体を使って説明できるようにしています。なるべく選手が頭で解釈できるように優しく、理解しやすくしようと思っています。自分の高校時代までのプレーを思い出せるので、現在トレーナーとしてやっていく上でその当時のプレーは生きていると思います。

岡田 高校のときに教わった監督さんに、一番近くで話を聞いていて、野球というものを勉強させてもらいました。高校のときはそれが全然意味が分からなくて、受験勉強をしている中で、段々抽象的にわかるようになってきました。いざ大学に入って、学生コーチになり指揮をとる立場になりました。秋の二軍戦では、自分の思い描いていた通りに試合を展開できたことが多くありました。高校のときプレーしていたのとプレーする立場から離れたというよりかは、高校で教わったことが大学になってより分かってきたという感覚が大きいです。

岩間 一応、2年の春まではプレーをしていたことになります。普段は、同期の練習している姿を見ないので、ミーティングなどでも自分は野球のことについては口出しをしないようにしています。たまにグラウンドに下りて練習を見ると、同期の人の打ち方が変わったとか、オープン戦で活躍しているのを見たり聞いたりすると、すごくうれしいですね。あいつ頑張っているなあって感じで陰から見ています。(笑)

「チームを支える」

金銭面やスケジュールの管理など、部の運営を担う岩間主務

――1月から高橋広新監督(昭52教卒=愛媛・西条)を迎えられますが、顔合わせは行いましたか

岩間 はい、しました。具体的にチームの方針などについては話してはいませんが、チームの練習状況を話して、それに対して監督さんの考えを少し伺ったくらいです。まだ30分話したくらいで、あまり詰めた話はしていません。年明けてからまた全員に話すと言われています。

岡田 野球うんぬんの前に、人間としての基本を徹底しておくようにと3、4回言われたよね。

岩間 うん。

岡田 見られている立場だというのをしっかり理解してほしいということです。主将、スタッフはそう言われています。

――岡村猛監督(昭53二文卒=佐賀西)も早大野球部としての自覚や姿勢というのを普段から話されていますよね

押川 かなり言っていましたね。服装であったり、一番言われるのは髪型ですね。

――高橋新監督は早大時代、新人監督を務めていました。何か聞いてみたいことはありますか

岡田 早大を出て、鳴門工、鳴門渦潮高校と公立高校を8回も甲子園に導かれている方なので、監督さん自身が勝負において大事なことをお持ちになっていると思うので、そこは最大限に意見を聞いて、上手いかたちでみんなに伝えるのが役目だと思っています。まずは、監督さんが繰り返し言われていることなどを意識して、自分なりに考えたいなと思っています。

――押川さんはスポーツ科学部に在籍されておりますが、学んだことが部で生かされていることはありますか

押川 かなりありますね。まだ授業全てを生かせているわけではないのですが、やはりスポーツ科学部の先生方は世間的に見てもスポーツ界ですごい方ばかりなので、その方々の得意分野を履修させていただいてそれを野球部として生かせるなと言うことはかなりあるので、活用させていただいています。

――押川さんと岡田さんは授業が一緒になることはありますか

押川 ことしは僕自身あまり授業を取っていないので、あまりないですね。1、2年のときはよく一緒に取っていました。

――一方で岩間さんは法学部ということで、部内で同じ学部の方が少ないということで大変でしょうか

岩間 そうですねー…(笑)。法学部は本当に大変です。出席すれば大丈夫とかではなく、試験は全部記述なので勉強しないともちろんダメで、両立にすごく苦労しています。

――期末試験も迫る中、今季の自信はいかがでしょうか

岡田 岡村監督が常々仰っていたことなのですが、野球部員である前に早稲田大学の学生なので、やはり学生の本分は勉強であると思っているので、そこは間違ってはいけないと思っています。

押川 僕は今季学校に週3回しか行ってなくて、またスポーツ科学部ということで実習系の科目が多くて法学部のように記述とかもなく、出席率や授業態度で決まるので今季はテストがありませんね。なので、全然問題ないです(笑)。

岩間 やはり僕は早めの準備が必要なので、もう結構教科書とかも読み返し始めて、例年にない準備をしています(笑)。

――年末ということで実家に帰られたりしますか

岡田 僕は30日くらいまでこっち(寮)にいようと思っています。特に正月は何をするとかはないのですが。

岩間 僕も特には。監督さんが代わるということでお引っ越しのお手伝いとか、そういったことをします。あとは寮にいます。後輩のマネジャー(安藤之長、スポ2=福島・安積黎明)の実家が福島なので帰して、自分は寮に残っていようと思います。

押川 正月と言えば箱根駅伝が注目されていますが、僕はニューイヤー駅伝に注目しています。なぜかと言うと、自分の兄がそこに出場するので毎年行っていますし、ことしもその応援に行ってこようと思います。なので、箱根駅伝だけではなく、ニューイヤー駅伝も見てください!(笑)

――年末まで寮に残って練習をする選手などはいらっしゃいますか

岩間 いないんじゃないかな?

岡田 でもきょねんは(茂木)栄五郎と一緒に練習したよ!

押川 残ってると岩間も大変だよね。

岩間 きょねんは年越しはここで一人だったね。さすがに12月31日は誰も寮にいなかったから、かなり寂しかった(笑)。出前をとって12時半には寝て、という感じで。

――それぞれの印象はどのようなものでしょうか

押川 岩間は何事もそつなくこなしていて、「いつの間にそんなに仕事をやっていたんだ」というようなことが多くて、すごく頼りになります。岡田は朝早くから夜遅くまですごく練習していて、「ちゃんと寝てるのかな」というくらい動いているので、いつか倒れるんじゃないかと思います(笑)。なので、岩間は要領が良くて岡田は頑張り屋さんといった印象ですね。

岡田 自分の感覚なのですが、自分は岩間と似ているという感じがします。やると決めたことに熱中するのですが、不器用だと思うんですよね。そつなくこなす一面もあるのですが、うまくいかないことも多いので。押川はすごく頭が良いですね。順序を追って物事を理論的に考えて、というふうに細かいことができるので。なので、自分が不器用でできない部分が多いので、気付かないところですごく押川には助けられていることは多いですね。

岩間 岡田は全てに対して真面目で真っすぐだなというのは一番感じます。自分とかはすごく適当なので…。例えば岡田はきちんと節約したりしていて、本当に真面目なんですよね。後は使命感が強いという面はとても尊敬しています。押川は、岡田が言ったのと同じことですが、頭が良いですね。冷静に周りを見たりするところがあるので、すごく頼りになります。

――皆さん一般入試を経て入学されていますが、苦労や経緯はどのようなものだったのでしょうか

押川 自分は大学進学したいということは(高校時に)野球をやっていた頃から思っていたのですが、夏に引退したときにはまだ具体的な志望校は決めていませんでした。ただスポーツが好きだからスポーツを学べるところに行きたいという理由で、早大というのが浮かびました。真面目に勉強すれば受かるだろうと思いセンター利用入試を受けたのですが、(センター試験が)全然できなくて(笑)。浪人したら自分は全然勉強に集中できないと思っていたので、そこから私立入試までの1ヵ月は本当に勉強しました。やはりそこが一番人生で大変でしたね。

岡田 自分はスポーツを仕事にしたいという気持ちがずっとあってそれが大学選びの基本だったのですが、ただなぜワセダを選んだかというと高校の1学年上だった髙梨さん(雄平、スポ4=埼玉・川越東)の存在があったからですね。高校で出会って、始めてプロ野球選手以外で憧れた存在になりました。自分が高校3年で引退した後、髙梨さんが大学1年秋に5勝を挙げて、そういう先輩の姿を見ていたので「もう一回髙梨さんと同じチームで戦いたい」という思いからワセダを受けました。なので、結果的に将来のことなどを考えてワセダを選んだわけではなく、本当に髙梨さんの背中を追いかけてワセダに来たような感じですね。

岩間 ワセダに来た理由は、高校の野球部の監督が早大野球部出身だったということが一番大きいですね。あとは自分の中で大学でも野球を続けたいと思っていて、いろいろな野球部がある中でやはり真剣に野球に取り組みたいという気持ちでワセダを目指してきました。勉強に関しては高校の野球部引退後から始めたのですが、受からなくて一浪して一年間勉強を頑張って合格しました。(法学部を選んだきっかけは)ワセダで野球をやりたかったので、政経などの学部も全て受験して受かった中で一番偏差値が高かったのが法学部だったので、法学部に来ました。(その選択は)人生の大誤算ですね(笑)。

一同 (笑)

――この一年間、それぞれの役職で活躍されると思いますが、理想像や目標はありますか

押川 特に目標としている人はいないのですが、この一年間はケガ人を出さないことがまず大前提で、あと痛みを抱えながらブレーしていた選手も中にはいたので、そういった選手もなるべく出したくないですね。やっていく中で何らかの障害が生じてくることもあると思うので、それに臨機応変に対応できるように常に準備をしたいですね。自分が慌てると選手も慌ててしまうので、冷静に対応できるようにきちんと準備をしてやっていきたいです。

岡田 春秋のリーグ戦制覇と全日本(全日本大学選手権)、神宮大会(明治神宮大会)の4つのタイトルを取ることが一番の目標なのですが、それにプラスしてチーム作りの目標として選手主体のチームを作るということですね。これはみんなにも伝えていることなのですが、自分がいままで3年間やってきて学生コーチが与えたメニューを選手が消化しているだけというふうに感じていたので、やはり戦うのは選手ですしグラウンドに出ているみんながいろいろ物事を考えて自分が判断しないといけないので、そういたチームにしたいなというのは目標としてあります。そのためには自分がチームを俯瞰して見て4年生を中心にそれぞれに「こうしてくれ、どうしてくれ」と伝えたことが全体に自然と浸透していくような、チームを作りたいと思っています。

岩間 主務はやはり上の立場なので人に見られているなというのは感じますし、細かいことでも怠ってしまうと信頼が薄れていくと思うので、常に自分は人に見られているというのを感じてやっていきます。さりげないことを完璧にできるようにしていれば自然と部も円滑に回っていくと思うので、役割をしっかり果たしていきたいです。よく思うのですが、仕事をすぐやればどんなに忙しくても仕事がたまることはないので、その場その場で完璧にできるような対応力を備え付けた人間になって、「あいつがやってくれているなら、大丈夫だ」というような安心感を、アピールするのではないですが自然と植え付けていければ良いなと思います。選手は自分が何をやっているかとかを知らないと思うのですが、その分自分がダメだったらチームは崩れていくと思うので、やはりワセダの主務としての自覚をしっかり持って頑張りたいと思います。

——ありがとうございました!

(取材・編集 井口裕太、盛岡信太郎)

 

◆岩間貴弘(いわま・たかひろ)(※写真)

1992年(平4)7月20日生まれ。身長180センチ、体重78キロ。東京都市大付高出身。法学部3年。「仲の良い部員は?」との質問を受け、指名したのは同じくスタッフとして映像担当を務める佐藤達(スポ3=東京・高輪)。「独特のキャラで無理な願いも聞いてくれて頼りになる。本当にできる子で相談も乗ってくれる良い奴です」と大絶賛。二人の間に強い絆がある様子がうかがえました

◆岡田稔基(おかだ・としき)(※写真)

1994(平6)年1月26日生まれ。175センチ、70キロ。埼玉・川越東高出身。スポーツ科学部3年。自慢のリラックス法は、近くの公園で好物の缶コーヒーを飲みながら夜空を眺めることと答えてくださった岡田新人監督。ロマンチックな回答に一同の爆笑を誘いました。冬場は風邪を引かないよう着込んで行ってくださいね!

◆押川智貴(おしかわ・ともき)(※写真)

1993(平5)年11月1日生まれ。160センチ、55キロ。長野・諏訪清陵高出身。スポーツ科学部3年。押川トレーナーが応援へ駆けつけたニューイヤー駅伝にて、お兄さんが所属するトヨタ自動車九州は惜しくも9位という結果に。掲載が大会後と知った押川トレーナーは「来年の駅伝では是非応援してください!」とコメント。来年の押川選手の力走に期待しましょう!

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