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2014.07.02
【連載】創刊500号記念特集 第2回水泳部・瀬戸大也
早稲田スポーツ新聞会は、7月1日に『早稲田スポーツ』創刊500号を発行しました。500号の『五』にちなみ、2020年の東京五輪で活躍が期待される水泳部の瀬戸大也選手(スポ2=埼玉栄)にお話を伺いました。創刊500号の紙面では載せ切れなかった瀬戸選手へのインタビュー取材のすべてを特集します。
※この取材は2月28日に行われたものです。
五輪は「夢の舞台」
早スポの取材に答える瀬戸
――2020年夏季オリンピックの開催都市が東京に決まりましたが、競泳の五輪日本代表に選ばれることへの憧れはありますか
オリンピックに出場して金メダルをとることが自分の小さい頃からの夢だったので、その夢の第一歩として臨んだ高校3年生のときのロンドン五輪を懸けた代表選考会で敗れてしまったことは悔しいことでした。でも、その経験があったから昨年の世界水泳(世界選手権)ではすごく良いパフォーマンスができたのだと思うし、自信もつきました。2020年の東京五輪の前にまずリオ五輪があるので、まずは再来年のオリンピック選考会でという気持ちです。その前に水泳の場合は、らいねんの世界水泳で金メダルをとれば(リオ五輪の)代表が確定します。そこで五輪出場を決めることができれば、4月は余裕を持って試しながらレースができると思います。選考会というよりはまずらいねんの世界水泳で2大会連続金メダルを目標にして、そこでオリンピックを決めることができれば、気持ちとしても楽になります。まずはリオ五輪に行って金メダルをとって、東京五輪では複数の種目で活躍したいというイメージがあります。
――昨年の世界選手権での金メダル獲得はご自身の中でも大きな転機だったのではないかと思いますが、そこから競技に対する心境の変化はありますか
自分ではたまたまとれた金メダルだと思っているし、もう年が変わっています。ことしはまた新しいストーリーが待っていると思うので、パンパシフィックとアジア大会でどこまで記録を伸ばして良いパフォーマンスできるかということと、リオ五輪に向けてはロンドン五輪とリオ五輪のちょうど中間の年にあたるので、ことしはすごく大切な年だと思うので、ことしはかなり重要だと思います。
――思い出に残っている五輪の名場面は
北京オリンピックのマイケル・フェルプス選手(米国)の8冠です。100メートルバタフライのレースでこれは(フェルプス選手が)負けたんじゃないかと思いました。タッチの場面を見ていても負けたって思ったんですけど、最後は映像見ても全く同じというか、むしろ見る感じ負けていると思ったんですけど、多分タッチ板の押し加減とかでフェルプス選手が1番になっていて、そういう気持ちの強さが出ていたのかなと思って、鳥肌が立ちました。
――それほど競ったレースを経験されたことはありますか
大きな大会ではないですけど、ありますね。高校3年生の埼玉県大会の400メートルリレーです。春日部共栄高と自分の出身校の埼玉栄高はライバル校同士なのですが、自分はそのリレーでアンカーの第4泳者を務めて第3泳者までで7メートル近くの差をつけられていたんです。100メートルなのでそこまで自信はなかったんですけど、春日部共栄高のアンカーは2年生で負けるわけにはいかないと思ったし、それで全力出し切ったら勝てなかったんですけど、同着優勝になりました。それはかなり競ったし、すごく良いレースでしたね。
――接戦のレースの時は自分で勝敗がわかりますか
タッチのときに勝ったかもとわかりますね。でも競っていて勝っただろうと思ったものは負けてます(笑)。よくあるのは海外選手とのレースのときで、ワールドカップとかレース感覚を養うためにいっぱい出場するときに、勝っただろうと思ってもバタフライで最後チャド選手(レクロー、南アフリカ)にパッとさされたり、逆に勝ったかもというレースではギリギリで勝っていたり。最後もタッチ勝負なら気持ちが強い人が勝つんじゃないかなと思います。
――そういった場面で体格の違いが勝負を左右することはないのでしょうか
頭で並んでいたら、腕が長い選手にタッチで負けてしまうと思うんですけど、どうなんですかね。自分より大きな人にも勝ったりしましたし、水の中では身長は関係ないと自分は思ってます。
――東京五輪が行われる6年後にはどんな選手になっていたいですか
水泳といったら自分の名前が挙がるような存在になっていたいです。やっぱり北島さん(康介、アクエリアス)みたいに日本の国民みんなに知られていて、東京オリンピックなので日本の国民の人たち全員から応援されるような選手になっていたいと思います。
――リオ五輪を含め、五輪の舞台でスタート台に立つ自身の姿を想像できますか
はい。ロンドン五輪の選考会前は、(五輪に)行けたらどうしようという変な考えがあったんです。邪念と言うんですかね。変なことを考えてしまっていたので、次の選考会の時には五輪でどう戦うかというイメージをしながら選考会を泳げるくらい余裕を持っていたいです。
――瀬戸選手にとって『五輪』とは
自分の夢の舞台ですね。
――水泳という競技における五輪の存在や価値とはどういったものだと思いますか
難しいですね。自分は世界水泳で金メダルをとったのですが、まだオリンピックは行ったことがないですけど、世界水泳と五輪では絶対に価値も違うと思います。世界水泳は2年に1回で、五輪は4年に1回。この4年に1回というのが価値あるものにしているのかなと思います。五輪ではそれまでと違う戦いが待っていると思いますし、五輪でどう勝つかが重要だと思います。自分にとっては、夢が五輪で金メダルをとることなので、そこでしっかり夢を達成できるかというすごく大切なものです。
――ソチ五輪はご覧になっていましたか
はい、見てました!でも羽生君(結弦、人通=宮城・東北)の演技は見れなかったですね。合宿中だったのでさすがに夜遅くまで起きていられないなと思って。ただ羽生君は金メダルをとると思っていたので、すごく刺激になりました。自分と同じ年にワセダに入学している選手が五輪で金メダルをとるという自分にとっての夢を叶えているということなので、負けないように頑張りたいです。
――五輪を目指す立場としてソチ五輪に出場する選手の様子を見て学んだことはありますか
強い選手とは平常心を保てる選手だと思いました。常に冷静にいる選手は強いと自分の中では見えています。自分も世界水泳の400メートル個人メドレーのときは平常心でしたね。200メートル(男子200メートル個人メドレー)のときはもう舞い上がっていました。平常心を保ちつつ楽しめたらいいなと思うので、落ち着いている選手を目指したいなと思います。
ポジティブさが強み
昨年の世界選手権400メートル男子個人メドレーで金メダルを獲得した瀬戸
――メンタル面でのセルフコントロールで気をつけていることはありますか
あんまりないですね。悪い緊張というのは何か違うことを考えたりしているからだと思います。この選手がこのくらいのタイムを出してきたらどうしようとか、自分ももっと速く(ラップタイムを出して)入らなきゃいけないかなとか。逆に良い緊張感というのは、自分のレースだけを考えて周りをあまり気にせず落ち着いていて、なおかつわくわくしているときが良い緊張なんだと自分が競技をやってきた中で感じることです。良い緊張に持っていけるようにするためには普段からの練習が大切ということが分かっているので、練習は本当に大切です。
――イメージトレーニングはされますか
はい。自分は競技生活においてイメージトレーニングで生きている感じなので(笑)。練習も最近は頑張れるようになってきたのですが、前はどうしてこの練習で公介に勝てるのかなという感じで。正直、世界水泳前も練習の強度で言ったら公介には勝てる気はしないんですけど、自分の中ではそれまで以上に良い練習、良い調整ができていたので、自信を持って臨めたんだと思います。
――日本代表のサポートにおいて、専門的なメンタルコントロールを教わるということはないのでしょうか
ないですね。自分は父親からです。父親が本当にプラス思考でポジティブな人で、自分よりもポジティブですね。父親の影響は大きいです。
――瀬戸選手にとって日の丸を背負って戦うことの意味とは
やっぱり日の丸は意識します。(日の丸を)真ん中に揚げたいという気持ちも強くありますし、できれば自分のチームメイトと2個揚げたいですね。自分の考えとしては世界選手権やオリンピックなどは日本の選手ももちろんライバルですが、チームメイトと日の丸を揚げたいという気持ちが強いので海外の選手には絶対に負けないという思いが生まれますね。いまの言い方だと日本の選手に対してって感じですね(笑)。とにかく海外の試合は楽しいので好きです。やっぱり日本の中だけでなく、海外の選手と一緒に泳ぐことによっていろいろな選手がいるのでレースも面白いですね。
――海外の選手との交流も積極的になさっているのですか
はい。全然英語話せないですけど(笑)。にこにこして知っている単語を話すと、話しかけてくれるので。聞くのはなんとなくこんなこと言ってるのかなとわかったりするんですけど、知ってる単語を並べると自分も話せている気になります。半年位海外にいたら英語も話せるようになるんじゃないかなと思いますね(笑)。
――海外の選手と一緒にアップして印象的だったことは
やっぱり国によって違いますね。セルフストレッチの仕方や体幹の仕方とか。トレーニングじゃないかと思うくらいサーキットを利用してアップをしてから入水する人とか。1時間以上そういうことをやってスイムは少ししかしない人もいます。そういう人は短距離の選手が多いんですけど、見ていていろいろで面白いなと思います。
――憧れの選手はいますか
やっぱりマイケル・フェルプス選手が一番尊敬してるし、大好きな選手です。あとは個人メドレーのライアン・ロクテ選手(米国)ですね。二人ともタフなので、自分の理想の選手像はフェルプスやロクテのようなタフで強い選手をイメージしています。
――フェルプス選手やロクテ選手の泳ぎの良さとは
ふたりとも得意種目が正反対なんですよね。公介(萩野、東洋大)と自分みたいに、抜きつ抜かれつのレースをして。でもやっぱり一番見習いたいところは世界一になっても、どんどん自分のタイムを上げていこうとする姿勢だと思います。そういう貪欲さが見えるので、そこは見習いたいです。
――ワセダ入学のきっかけ、ワセダへの思いとは
中学、高校、大学とどこへ行くのかを考えた時に、水泳が強いところはどこだろうというように考えていました。高校のときも水泳が強い湘工(神奈川・湘南工科大付)に行くと言っていたりしていたんですけど、大学も大学の中で一番知っていたのがワセダだったんですよね。小さい頃からいとこ達と初詣は(早大戸山キャンパス前の)穴八幡神社に行っていたんです。すぐ側にワセダがあって、「これがワセダなんだ!ワセダに行きたい!」と自然に思うようになっていました。六大学でとても有名ですし、他の大学に行きたいと思ったことはなかったですね。多分名前がかっこいいからというのが最初だったと思います(笑)。
――ご両親もワセダへの進学を後押しされていたのですか
お父さんも「ワセダに行け」とか「大学はワセダでしょ」とずっと言っていました。何の根拠があるのか分からないですけど(笑)。なので大学進学についても夢がかなっていますね。
――星奈津美選手(平25スポ卒=現ミズノ)や藤井拓郎選手(平20スポ卒=現コナミ)などワセダのOBやOGで日本代表選手の方がいらっしゃると思いますが、そういった先輩方とワセダの話はされますか
はい!当時のワセダの話とかを聞いたりしていて、正直拓郎さんがいるときにワセダにいてみたかったなと思いますね。
――なぜそう思われたのですか
拓郎さんめちゃくちゃ面白くて(笑)。こんな先輩がいたら大学すごく楽しいだろうなと思いました。あと、代表やセレモニーに行くとワセダのOBやOGの方がたくさんいて、すごく声を掛けてもらいます。そういうのはすごくパワーにもなるし、これだけ応援されているんだからもっと頑張ろうと思います。こんな人がワセダを卒業しているんだと思うような方にも会うことがあるので、誇りに思うし、ワセダにいれて幸せだなと感じます。
――藤井選手は五輪でメダルも獲得されている方ですが、五輪の話を聞くことはありますか
オリンピックの話はあんまり聞かないですね。他の選手にもあんまり聞かないです。自分の目で確かめたいからです!
さらに上を目指して
早稲田スポーツ創刊500号の第4、5項
――瀬戸選手は国立スポーツ科学センター(JISS)を利用されることがあると思いますが、こういった施設について教えていただけますか
自分が使っているのは、まずスイミングプールです。ワセダとあまり変わりませんが50メートルのプールでタッチパネルもついていてスタート台には羽根もついていてしっかりしているのですごく良い練習ができますね。あとは水中カメラとかもいっぱいあるので、そこでその映像を見たかったら、マルチサポートの人たちに言うと映像を見せてくれて教えてくれます。2階にはリハビリ室があるんですが、そこはケアやからだの動きをチェックできる場所です。ウエイトトレーニングルームではトレーナーさんと1対1で、変な動きをして筋肉つけないようにずっとつきっきりで教えてもらったりします。本当に充実しているし、サポートには満足しています。
――日本におけるアスリートのサポート体制について
自分は充実しまくってると思うので特に要望とかないんですけど、JISSはおばけがでるという噂なので怖いです(笑)。
――おばけは苦手ですか(笑)
おばけ怖いです。
――おばけとゾンビだとどっちが苦手ですか(笑)
おばけです。あとはサメです。サメは本当に無理で、海は泳げないです(笑)!
――水泳界では毎年のように世界記録などタイムが更新されていますが、この一番の要因は何だと思いますか
水は陸に比べて抵抗が大きいので、まだまだタイムは上がっていくと思います。トレーニングも年々、最先端のものが出てきているので。実際に10年前から400メートル個人メドレーの日本記録も何秒上がっているかというのを見たら、とてつもなく記録は上がっていると思うので、自分が現役選手としてやっている間にいまの世界記録はもちろん上回ってくると思いますし、すごいタイムで東京五輪は終わると思います。
――(3月に1カ月近くにわたり行った)メキシコでのトレーニングについて
この前の短水路で前半のスピードがすごくあったんですけど、後半はバテてしまったので、山行って降りてきた時に乳酸の除去能力、酸素の摂取量とか増えて後半持つような体力を持って帰ってきたいです。行ってからももうひと踏ん張りしてきたいと思います。
――メキシコでの食生活などに不安はありませんか
自分、本当に海外が好きで、現地の食べ物でやってきた人なので、日本食も持って行った方がいいと言われて少し持って行っています。カップラーメン3つくらいですが。あとは調味料とふりかけも一応持って行くんですけど、まあそこまでいらないかなという感じですね。
――嫌いなものなのではあまりないのですか
ないですね。向こうの食べ物を工夫して食べることが好きです。自分が好きなように食べるということですね。
――メキシコで楽しみにしているものは
タコス(笑)。タコスしか知らないです。
――1カ月など長期にわたって日本を離れることに対しての不安はありませんか
たぶんラーメンが食べたくなると思います(笑)。まあ、もう食べてるので帰ってくるまで我慢しときます。
――この高地トレーニングをこの時期に取り入れた意図は
ことしが初めてなんですが、らいねん行くとなるとリオ五輪も近いし、山に上がることによってリスクも生じます。メキシコは2000(メートル)までいかないところなのでことしはお試し高地という感じで行きます。それで良ければらいねんからフラッグスタッフ(米国)の2000メートル以上の山を登ってトレーニングしようという考えです。ことしは楽しみです。
――それでは500号を迎える早スポにメッセージをお願いします
500号ってことはいつからやってるんですか?
――ことしで55年目になります
えー!すげー!俺全然生まれてないですね。自分の母親とかも生まれてないです。伝統ある新聞に取材してもらってうれしいです。これからももっともっと頑張ってもっと良いニュースを伝えられるように自分も頑張ります!
――最後に世界で活躍される瀬戸選手から同世代のワセダ生へメッセージをお願いします
日本のワセダから世界のワセダへみんなでしていきたいですね。各競技が切磋琢磨(せっさたくま)して、ワセダを世界に広められるように頑張っていきましょう!
――本日はありがとうございました!
(取材・編集 荒巻美奈)
◆瀬戸大也(せと・だいや)
1994(平6)年5月24日生まれ。埼玉栄高出身。スポーツ科学部2年。2013年(平25)世界選手権男子四百メートル個人メドレー金メダリスト。6月は連戦となった瀬戸選手。約2週間にわたるヨーロッパ遠征、さらに帰国後中1日でジャパンオープン2014(50メートル)に出場しました。そのなかでも多く自己ベストを更新する活躍。そのタフさは圧巻の一言です!
自身が掲載された紙面を持つ瀬戸