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2013.02.13

【連載】『ツナグ』 第5回 佐々木寛文


 今季は駅伝主将を務め、ワセダをけん引してきた佐々木寛文(スポ4=長野・佐久長聖)。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)への出場はならなかったものの、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)、そして箱根にはしっかり調子を合わせてきた。自身の大学生活におけるラストラン、そしてワセダというチームにおける集大成――。三冠もエントリー落ちも経験したキャプテンは、最後に何を語るのか。

※この取材は2月3日に行われたものです

最後の「箱根に向けて」

5位という結果は悔しいが、それが実力だったと語った

――東京箱根間往復大学駅伝(箱根)からちょうど1ヶ月経ちました。改めてことしの箱根はどのような大会でしたか
天候もあのような状況で、自分たちも予想していなかった中でのレースでした。また、予選会から上がってきたチームが優勝したということで、多くのチームに優勝のチャンスがあることがはっきりしました。いつも駒大や東洋大をライバル視しがちですけれども、やはりもっと日体大などの予選会から上がってきたチームも力を付けているのだということを認識する必要があったと思います。

――ことしは4区を走りました。きょねんの7区との違いはどのように感じましたか
コースという点では同じ場所、すなわち7区の逆ということになるのですが、区間配置的にもことしは往路で攻めていくというものでした。だからきょねんとは違って、大迫(傑、スポ3=長野・佐久長聖)の勢いを僕のところまで継続して、修平(山本、スポ2=愛知・時習館)に繋げられたら良かったのかなと感じます。

――佐々木主将を4区で起用した渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)の意図は、やはり往路で攻める作戦をとっていたからですか
そうだと思いますね。

――試合前日は良く眠ることはできましたか
そうですね。特に緊張することもなく、いつも通りに過ごせていたと思います。

――中継所で大迫選手からタスキを受け取るときの心境はいかがでしたか
彼が順位を上げてきてくれたおかげですぐ目の前に駒大が見える位置にいて、東洋大は少し離れていましたが、チームに勢いをつけてくれたと思います。それを続けることが自分のすべきことだと感じていました。

――ワセダはとても人気のあるチームなので、ものすごい応援だったと思いますがいかがでしたか
本当に色々な方々から応援をしていただいて、特にあのような天候の中での走りだったので、苦しいときに力になりました。

――応援という点に関して、他の大会に比べてやはり箱根は別格ですか
そうですね。他の大会よりも観客数は全く違いますし、本当により多くの人にワセダを応援してもらえるレースだと思います。

――出雲のメンバーから落ちてしまったことで、何か心境の変化はありましたか
出雲を外れたことに関しては、監督からもしっかりと理由を聞いて、理解した上でのものでした。出雲のメンバーから外れた主な理由は、全日本と箱根に照準を合わせることでした。それによって残りの2つの駅伝には、しっかり調子を合わせていかなければならないと考えていました。

――学生三大駅伝に含まれる出雲を外れてでも、全日本と箱根に合わせることに決めた理由はどこにありますか
直前の9月の合宿でもあまり練習することができていなかったので、無理に出雲駅伝に出走するとなると、練習不十分の中で合わせなければならないということがあります。それを考えるのであれば、出雲を外れてでも全日本と箱根に向けてしっかりと練習を積んでいこうという考えでした。

総合5位、「これがいまの皆の力

――箱根のレース前の調整等はいかがでしたか
ことしは4年間の中で最も集中練習をこなせていましたし、練習を積むことができたという自信はあったので、しっかり準備はできていたと思います。

――チームとしての調整等はいかがでしたか
きちんとまとまりもあって、全体として本当に良い雰囲気の中で練習することができていました。調整に関しても、誰1人欠けることなく選ばれていた選手を支えてくれていました。

――当日のレースプランはどのように描かれていましたか
おそらく監督がイメージしていたのは、3区の大迫でトップに立って4区、5区で後続を引き離していくというものだったと思います。僕もそれをイメージして、トップでタスキを受け取って、後続との差を広げて修平への負担を減らせればいいかなと考えていました。しかし結果として、事前に描いていたレースプラン通りには全くなりませんでしたね。

――全体的に天候、すなわち風の影響を受けたレースとなりましたが、佐々木主将自身はどのような影響を受けましたか
僕のような選手は飛ぶように走るフォームをしているので、やはりあのような向い風だとどうしても押し戻されてしまって…。自分のスピードを生かした走りというものが正直できなかったですね。

――レースの中で特に苦しかったポイントはどこでしたか
やはり後半のラスト3キロぐらいに橋を渡ったときであったり、小田原に入ってきてからより風が強くなってきたりして、そこが特にきつかったですね。

――12キロ付近で日体大から離されてしまいました
ずっと日体大を引っ張っていったのもありますし、上り下りで後ろが離れてくれるかなとも考えていたのですが、そこで粘り強くついてこられてしまってある意味利用されてしまいました。そして前に出られたときに、苦しくなってしまいました。

――4区は注目されていた東洋大、駒大、そして結果的に総合優勝を果たした日体大との混戦となる中での走りでしたが、いかがでしたか
結果的には日体大には抜かれてしまったのですが、それ以上にだいぶ前を走っていた東洋大との差を縮めようと考えていたので、少なくともトップの東洋大との差を詰めてタスキを渡せたことは良かったと思います。

――二強と言われていた東洋大や駒大、そして優勝した日体大にはどのような印象を持っていますか
聞いた話によると、駒大も日体大も直前でエントリー変更があって、本来走るべき選手が走っていないという状況の中でのレースだったと思います。層の厚さを感じました。そこを上手く利用して駒大を離すことはできましたが、日体大を離して2位でタスキをつなげていれば、もう少し違うレース展開だったのかなとは思います。

――区間8位、タイム58分36秒という結果については
タイムに関してはあのような天候だったので何とも言えませんが、もう少し区間上位で走らなければいけなかったのかな、とは感じています。

――山に強いという前評判の立っていた、山本選手にタスキをつなぐときの心境はいかがでしたか
修平には申し訳ないという思いでタスキをつなぎました。でもどうにか日体大の背中が見える位置でタスキをつなぐことはできたので、一緒に攻めていって先頭との差を詰めてくれ、と思っていました。

――山本選手が服部(翔大、日体大)選手とのデッドヒートを演じ、その結果として往路2位となりましたが、その点についてはいかがですか
やはりその往路2位というのが今のワセダの力なのですが、そこで引っ張って往路優勝していかなければ総合優勝も見えてこなかったと思います。そこで2位になってしまったことは正直悔しいです。またそれによって、復路の選手たちに負担を掛けてしまいました。

――復路の選手たちとは、レース前に何かお話になりましたか
直接は話しませんでしたが、ずっと復路の選手たちには付き添いをしましたし、メールも送って少しでもリラックスして臨めるようにしてほしいとは考えていました。

――走り終えてから、渡辺駅伝監督とは何かお話になりましたか
全部レースが終わるまではほとんど話をしていなくて、全て終わってからレースのことについての話はしました。

――どのような内容でしたか
監督からは走りのタイプ的にも明らかに向いていないあの状況の中で、「良く走ってくれた、力を出し切ってくれた」とは言われましたが、正直悔しかったというのが本音です。

――結果としては総合5位ということになりましたが、その点に関していかがですか
もちろん目標としていた優勝とは大きく離れてしまったわけですし、やはりきょねん三強として臨んでいた中で牙城を崩され、またことし順位を下げてしまったので、悔しい結果としか言いようがありません。

――10区の田口大貴選手(スポ2=秋田)のゴール後、佐々木主将が駆け寄っていましたが、何か声を掛けられましたか
終わった後、すぐには声を掛けてあげることはできませんでした。少し時間を置いてから、「お前1人のせいじゃないよ、これがいまの皆の力なんだ」ということを伝えました。

――きょねんは19位に沈んだ日体大が復活優勝しましたが、主将という立場から見て、日体大の勝因はどこにあると思いますか
やはりきょねん19位という結果になって、コツコツと地道に練習を繰り返し続けてきたチームだと思います。そのような努力の積み重ねがあのような苦しいレース展開の中でも、自分たちの力を出し切れることにつながっていると思います。

――ワセダが優勝するために足りなかったものはどこにあると思いますか
やはりまだ大迫であったりとか修平であったりとか、他校の選手と競り合ったり勝てたりする選手はいます。よってそういった選手を中心にほかの選手がもっとチーム内の争いだけでなく、ほかのチームとの戦いに目を向けてみてほしいと思います。これからも記録会やロードレースはたくさんあるので、ほかのチームにどんどん意識を広げていってほしいなと思います。

「成長させてくれた4年間」

跳ねて走るフォームゆえに、より強風に苦しめられた

――きょねんの取材の際に、4年生がワセダの柱になる代になりたいとおっしゃっていましたが、その点に関していかがですか
秋に入るまでは、正直4年生として引っ張りきれなかった部分がありましたし、4年生のまとまりが欠けていたということもあったと思います。でも最後は皆でやっていけたと思うので、しっかり1人1人が機能してくれました。

――主将としてのプレッシャーはありましたか
OBの方々から何か言われるとかそういうことはありませんでしたが、僕自身が任されたことをしっかりやろうというところで、自分自身でプレッシャーを掛けすぎてしまった部分はありました。

――全日本では快走を見せ、箱根では1区を走った前田悠貴(スポ4=宮崎・小林)選手への思い入れはどのようなものがありますか
彼はスポーツ推薦で一緒に入ってきたのですが、それでありながら1年目は二人とも箱根に出場することができなくて、終わってからOBの方々に、「スポーツ推薦の選手は走らなきゃダメだ」と怒られたことがありました(笑)。その中で彼もコツコツと練習を積んできて、最終的に彼の方が良い成績を残していて、僕も彼を意識していましたし、お互いに切磋琢磨(たくま)しながらやってこられたのかなとは思います。普段はこんなことお互い言いませんけどね(笑)。

――佐久長聖高時代からしのぎを削りあってきた平賀翔太(基理4=長野・佐久長聖)選手には、どのような印象を持っていますか
高校時代から同じチームだったので、4年生の中でも彼における信頼というものはとても大きかったですね。出雲のエントリーから外れて苦しかったときにも、「僕がチームを引っ張っていくから」と声を掛けてくれました。4年間、彼に助けられた部分というのは大きかったかなとは思いますね。

――全日本に出走した市川宗一朗(スポ4=愛知・岡崎)選手は、箱根に出走できませんでした
市川も地道に成果を上げてきたうちの1人なので、後輩も彼を見習ってやってきました。本当に色々な意味で頑張ってきて、それでも箱根を走ることができずに悔しいとは思いますが、最後までチームのために動いてくれて、感謝しています。

――きょねんは箱根6区を走り、ことしは当日エントリー変更になってしまった西城裕尭(スポ4=東京・早実)選手についてはいかがですか
誰も直前までメンバーがどうなるかわからない中で、最後まで調子を上げてはいたのですが、オーダーに関しては監督やコーチが決めることなのでなんとも言えません。でもオーダー発表があったあとも、下りを走る選手のために自分が何をできるか考えてフォローしてくれたので、そういうところはチームにとってありがたかったです。

――特に意識していたライバルのような存在はいましたか
やはり高校時代にチームメートだった選手は、大学に来ても意識してはいましたね。

――ワセダの競走部に所属した4年間で、何かターニングポイントのようなものはありましたか
この4年間というのは優勝も味わいましたし、逆に全く走れなくて悔しい思いもしました。その中で3冠をしたときがやはり大きく自分に影響を与えてくれるものとなりました。

――印象強いレースはありますか
これというものはありませんが、3冠達成した年に2つのレースを走っていた中、最後の箱根を走れなかったことに対しては、心残りがありますね。

――目標としていた選手、またはこの人がいたから頑張れた、と思えるような存在は誰になりますか
入学したころはやはり大きく活躍していた竹澤さん(健介、平21スポ卒=兵庫・報徳学園)でしたね。彼はもう目標というより、憧れの存在でした。その当時はまだ竹澤さんも大学院生で、身近で練習をしていたので、何か吸収できることはしてやろうと考えていました。竹澤さんがいなくなってからは、後輩の大迫なども日本トップレベルの選手に成長して、彼の中にも見習うべきところはたくさんあると思うので、そのようなところを日常生活をしながら学べたらいいな、とは思っていました。

――その大迫選手が来季、駅伝主将を務めることになりました
彼の目指しているレベルはとても高いので、チームから離れることも少しずつ多くなってくると思います。そこを上手く、ほかの3年生と話し合いをしっかりして、引っ張ってくれる存在になればいいかなと思います。

――主将を務めた、ことし1年間を振り返っていかがですか
本当に貴重な経験をさせていただいたので、それをこれからの競技人生に生かせればいいかなとは思います。

――箱根駅伝とはどのような場所でしたか
当然通過点の1つでもありますし、小さいころから箱根駅伝に憧れていた部分はあるので、そういった意味では大学生活の中で大きく自分たちを成長させてくれた場所だったことは確かです。

――もしもう1度箱根駅伝を走ることができるとしたら、走ってみたい区間はありますか
結局走らずに終わってしまったのですが、5区の山上りはやはり走ってみたかったですね。

――大学生活の4年間を振り返っていかがですか
先程も少し話しましたが、優勝も経験しましたし、走れないときもあって辛い思いもしました。その中で本当に色々な方々に支えてもらいながら、競技を続けられたことに本当に感謝しています。走りという面だけでなく、色々な意味で成長させてくれた4年間でした。

――最後に、来季以降のワセダにメッセージをお願いします
今の新4年生の代は、本当に力のある選手がたくさんいるので、また強いワセダの歴史を作り上げていって欲しいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 細矢大帆) 

◆佐々木寛文(ささき・ひろゆき)
 1990年(平2)11月13日生まれのO型。163センチ、50キロ。長野・佐久長聖高出身。スポーツ科学部スポーツ文化学科4年。自己記録:5000メートル14分04秒44。1万メートル28分49秒61。ハーフマラソン1時間02分36秒。2012年箱根駅伝7区1時間03分37秒(区間3位)、13年4区58分36秒(区間8位)

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