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2014.03.26
【連載】『平成25年度卒業記念特集』 第65回 垣永真之介/ラグビー
試練の果て
早大を支え続けた大黒柱が卒業する。垣永真之介(スポ=東福岡)。赤黒の3番を常にまとい最終学年では主将を務めた。しかしその競技生活は試練の連続。主将として伝統あるチームを率いた陰で多くの苦難を味わう。垣永が歩んだ4年間と描く未来とは。
チームのことを第一に考え続けた垣永
強豪・東福岡高の主将として全国制覇を果たした垣永。自身も抜群の突破力と強力スクラムで大きく注目された。卒業後「小さいころから憧れの的だった」という早大に迷わず進学。周囲の期待を受け『ヒガシの3番』は『早大の3番』となる。しかしチームは全国大学選手権(大学選手権)決勝へ駒を進めながら帝京大に敗戦。「迷惑をかけた」と振り返る垣永はこの戦いで負傷し長期離脱を余儀なくされた。「つらかった」と語る本人にとって初めての大ケガ。2年では多くの試合を棒に振る。復帰を果たした3年時に再び定位置を取り戻すも大学選手権準決勝でまたも帝京大に敗戦。「やりきれなかった」と悔しさをにじませた。
迎えた最終学年、『ヒガシの主将』はついに『早大の主将』となった。だが「期待に応えたい」と意気込み臨んだ春先はなかなかチームがかみ合わない。勝利を収めた試合も納得のいく内容とはいかず、慶大を相手には大敗するなど苦戦した。本人も「試練と思って我慢した」と当時を振り返る。しかし垣永は苦しい時でも常に仲間を鼓舞、好プレーには全力で喜びを表現した。するとやがて我慢が実りチームは復調。自身を核としたスクラムが大きな武器となり、関東大学対抗戦(対抗戦)では筑波大から劇的勝利をあげる。だがこれまでも立ちはだかってきた『赤いカベ』は高かった。春、夏合宿、対抗戦と帝京大に僅差で敗れ、3年ぶりに進出した大学選手権決勝も7点差で惜敗。決勝のピッチで悔しがる後輩を慰める主将の背中には寂しさが感じられた。
山あり谷ありの4年間を駆け抜けた垣永。引退を控えていつも口にしていたのは「後悔は無い」、「振り返って素晴らしかった」という前向きな言葉だ。早大ラグビー部での4年間、垣永は数々の苦難を味わいながらも確かな成長の跡を残した。卒業後は日本屈指の強豪サントリーでプレーする。同じポジションにいるのは早大の偉大なるOB畠山健介(平20スポ卒=宮城・仙台育英)。史上最速で日本代表50試合出場を達成した先輩を越えれば自らが『ジャパンの3番』を背負うことも現実味を帯びてくる。事実、今春の日本代表に垣永は育成選手として選出された。すでに世界への第一歩を踏み出したのだ。「視野に入れて頑張りたい」と言う目標の大舞台へ。垣永の目はすでに一段、いやそれ以上に高いステージを見据えている。
(記事 鈴木泰介、写真 加藤千暁)