水泳部

2014.02.08

【特集】『男女主将対談』三浦悠佑×固城妃美

 昨年度、三浦悠輔(スポ4=京都・鳥羽)、固城妃美(教4=東京・藤村女)両主将の下、日本学生選手権(インカレ)で男子部は3年連続の2位、女子部は創部初の決勝進出を果たすなど結果を残した水泳部水球部門。だが、そこまでの道のりはけっして順風満帆なものではなかった。卒業を迎えるいま、両主将が思うものとは――。それぞれの早大水球部での4年間を振り返ってもらった。

「やっぱり水球が好き」(三浦)

――引退から4か月。水球から離れた大学生活、どのように過ごしていますか
固城妃 私はいまも練習に顔を出しているんですけど、現役の時は主将だったこともあって、例えば、誰かがちょっと悩んでいたりとか故障していたりとか、精神面までも気を配ってやらないといけないというのがあったので、毎日ぴりっとしているな、と自分の中では思っていました。でも引退してから来てみると、自分がそういうのをやらなきゃいけないというプレッシャーがもうないので楽に練習できていますし、メニューも縛られずに自由にやれるので、そういう意味では精神的に楽です。あとは、純粋に楽しんでできています。
三浦 僕は寂しくなりましたね、寮にいたので。朝も晩も誰かいたので、一人暮らしは寂しいです。僕も練習行ってます。いま(固城妃が)言ったように、僕もキャプテンで最後の方はけっこうぴりぴりしていたので、それがなくなってすごく楽というのはあります。でも逆に現役のほうが楽しかったという思いは多少ありますね。

――水球を離れて時間ができて、好きなことをできるようになったのでは
三浦 ないんですよね、それが(笑)。好きなことというのが特にあるわけじゃないので。そう考えると、いまも水球やってるので、やっぱり水球が好きなのかな、と思います。

三浦

――何故早大に入学したのですか
三浦 僕は大学を選んでる頃に推薦を他の3つくらいの大学から貰って悩んでいました。最初は日大に決めていたんですけど、同期の加藤君(廉也、スポ4=埼玉栄)から連絡があって「一緒に水球しようよ」と。あとは当時の監督から「五分五分の橋があるけど渡るか」と言われて、だんだん行きたくなってきました。それで先輩と連絡取って聞いていると他の大学よりも良い大学で、先輩にも恵まれていて、非の打ち所がないというか。もう落ちてもいいかな、くらいの気持ちで受けてましたね。

――お兄さんの敏史さんは筑波大で水球をやっていましたが、後を追おうとは思わなかったのですか
三浦 最初は実は筑波に行きたくて。ずっと行きたいと言っていたんですけど、推薦で入るのは難しそうだったので諦めました。

――固城妃選手は女子部が公式戦に出始めた年に入学されました。当時強豪ではなかった大学を選んだ理由は
固城妃 高校に入学する前から、お前は東女体大じゃなくてワセダに入れと(高校の監督の)永田(研史)先生から言われていたのが一番大きくて、そのために高校でも特待生をとって推薦貰えるようにと意識していました。高校では東女体大と一緒に練習していたんですけど、高校3年生のときのインカレか日本選手権で東女体大が初めて日体大に負けて先輩たちが号泣しているのを見て、自分が東女体大に入って日体大にリベンジしてやりたいと思って、実は先生に私はワセダじゃなくて東女体大に行きます、と言ったんです。でも頑なに拒否されて、「お前が東女体大に入ったら、これからも東女体大と日体大の2つのチームで争うことになってそれは面白くない」と。「お前がワセダに入ってワセダを強くして、せめて3つのチームで争えるようにしろ」ということで、先生の言葉通り。あとは、自分でも小さいころから体育大学じゃなくてちゃんと勉強もできるような環境の大学に行きたいと思っていたので、そういう面ではワセダは日本トップの私立だと思っていますし、水球もできるし、こんないい環境はないなと思ってワセダにしました。

――大学の水球と高校までの水球の違いを感じた点は
三浦 もろに攻め方も変わりましたし、関西と関東ってそれぞれ特徴があって、僕はずっと京都でやっていて急に関東に来てやっぱり付いていけなかったのはありましたね。あとは僕は高校3年まではチームでスタメンでやっていたんですけど、大学って一気にレベルが上がるのでなかなか出られなくて、焦りもありましたね。
固城妃 高校時代の藤村女高の水球って絶対的なルールがあるので、その型にはまった水球を3年間ずっと叩き込まれてきたんです。でも私が大学に入ったころはメンバーもいなかったですし、水球経験者も少なかったので、ワセダの形がなくて。自分たちで探り探り日体大や東女体大から盗んでやっていくという形のない水球が初めてで。監督からあれをやれ、と言われることもなかったので、いい意味で圧迫がなかったのが戸惑いでした。上からの指示がないというのが初めてでしたし、自分たちで全部やらなきゃいけないのが、それまでとは別の意味で頭を使わなきゃいけないので大変でした。

「東女体大に勝った瞬間は、いま思い出しただけでも鳥肌が立つ」(固城妃)

――インカレの成績で見ると早大がチームとして力を上げてきた4年間だったように思えますが、やっていて毎年強くなっている、という感覚はありましたか
三浦 僕の思いなんですけど、強くなっているという感じはないんですけど、段々丸くなっているというか。まず、男女の仲がすごく良くなったというのが一つあって、1年生のころは女子部は出来たてで男子との温度差で雰囲気が悪くて。それが段々と女子が練習したいと言うようになって最後は一緒にできて良かったという感じがあったのでチーム的にもすごく雰囲気よかったのかなと思います。
固城妃 私もそれは思います。最初の頃って男子が強いのは当たり前でしたし女子も出来たてで人数も少なくて練習もあまりできなかったのでチームというかんじではなかったんですけど、いま思ってみると最後の1年間は、男子のワセダと女子のワセダ、というより、男女でワセダ、というかんじが強かったと思いますし、女子単体で見ても、秀明英光高とか強い高校から段々入ってくるようになったので、そこで実力的にもチームとしても力が上がってきているとは感じます。

――女子部はいまでは上位の常連となっていますが、そこに行きつくまでに特に大変だったことは
固城妃 私の場合は自分の高校の同期が東女体大に行って活躍して上位を取っているのをずっと見てきて、高校3年のときに東女体大に行きたいというのを先生に蹴られたというのがずっとあったので、羨ましいな、とか、自分も東女体大に行ってたらメダル貰えてるかな、とかずっと4年目も思ってきたんです。でも終わってみて引退した後で振り返ってみるとワセダじゃなければできない経験っていっぱいあって、縛られない水球をしてチームを自分たちで作っていくというのを経験できたのが自分の糧になりましたし、社会に出たときに自分で何をするか考えて行動するってすごく大事なことだと思うので、そういう面で、社会に出るにあたって、上下関係もそうですし、先輩への態度とか後輩への厳しい指導とか、そういうのも身に付けられたと思うので、やっぱりワセダに入ってよかったといまは思います。

固城妃

――主将として過ごした昨季。男子部は春から順調に成績を残していましたが、チーム内の雰囲気はいかがでしたか
三浦 結果通り順調だったとは思うんですけど・・・。ことしはいける、という思いは正直あって、気合いが入っていて、心の中ではみんなそういう思いはあったと思います。

――特に関東学生リーグ戦(リーグ戦)最終戦では日体大相手に一時リードを奪うなど追いつめました
三浦 あのときは絶対勝てると思いましたね。リーグ戦の最後の試合で負けた時はみんな一番気合い入っていたんですけど、勝てると思ったのが逆に駄目だったのかなと。日体大は日体大でかなり練習したでしょうし。

――女子部は対照的に春は不本意な結果でした
固城妃 がたがたでしたね。私はすごく責任を感じていました。4年生が1人、というのもあるんですけど、私が就職活動で春いなくてチームを3年生に任せてしまったので、3年生の4人に大変な思いさせたな、というのと、自分が引っ張らなければいけないチームなのに自分が練習に出られていなかったので実力的にチームに迷惑をかけたと思います。

――リーグ戦最終戦では新潟産大にまさかの敗戦。その後何か意識して変えたところはありましたか
固城妃 リーグ戦の後は負けたということもあってチームがぴりぴりしていました。男子は早慶戦の後に一度解散にするということで、女子はどうするか監督は自分で決めていいよ、と言ってくれて。リーグ戦は連戦でしたし日体大に遠征とかも言っていたので絶対に疲れていたと思うんですけど、私は新潟産大に負けたのが悔しすぎて。これは練習しないと、女子は『インカレのワセダ』と言われているんですけど、それにもなれないなと思って、後輩たちには申し訳なかったんですけどオフを返上して練習しましたね。それくらいあの一戦で負けたのが本当に悔しかったです。

――そうして迎えた4年目のインカレ。それまでの3回のインカレとは異なる思いはありましたか
三浦 僕は最後だという思いはありましたね。高校の試合の最後でも次は大学で、と続いてきたんですけど、大学4年って本当に最後だったんで、寂しかったですね。
固城妃 大学の集大成、というよりはこれまで積み上げてきたものの集大成というかんじだったので、感慨深かったというか始まる前から、これで最後か、と寂しく感じましたね。

――男子部は3年連続となる2位。いま振り返ってみていかがですか
三浦 最後は日体大に大差(7-16)で負けましたよね(笑)。本気で勝ちたかったので、拍子抜けした、というか魂抜けたかんじでしたね。それが日本選手権に繋がっちゃったのかな・・・。そのせいでチームも一回よく分からないかんじになってしまったので。あの敗戦は辛かったです。

――女子部は初の決勝進出を、それまで勝てていなかった東女体大を破っての達成ということで嬉しさも格別なものがあったのでは
固城妃 あの瞬間は、いま思い出しただけでも鳥肌が立っているんですけど、さっきも言っていたように東女体大に対する思いって私の中で特別なものがあって、インカレのすぐ前に私の恩師である永田先生が亡くなって、東女体大とあたるとなって。これはもう運命だと思って、先生は私に「東女体大を倒してみろ」とずっと言っていて、「お前が東女体大を倒せたときに、お前の役割は終わるんだ」と。「それでお前は俺に恩返しができるんだ」と言われていたので、これでやっと先生に恩返しができたなと思ってすごく嬉しかったんですけど、逆に東女体大の人たちは先生を最後優勝監督にしてあげたいという思いがあったと思うので、そこを自分で負かしてしまったのは、自分の中で複雑な気持ちでしたね。勝った瞬間は本当に嬉しかったんですけど、振り返ってホテルに帰ったときに、これは先生はどう思っているんだろうな、と夜はすごく考えましたね。
三浦 あのときは僕たちも嬉しかったです。あんなに喜んでる男子ってあんまり見ないってくらい喜んでました。
固城妃 一生懸命応援してくれてたよね。

――昨季最後の大会・日本選手権。男子は1回戦で秀明英光高にまさかの敗戦。振り返ってみていかがでしたか
三浦 もう情けなかったですね。でもさっきもちょっと言ったんですけど、インカレで日体大に負けて、監督からは日本選手権こそは、と言われていて。でも毎年、チームの雰囲気としてはインカレ終わると気持ちが緩んじゃうというのがあるんですけど、ことしは特にそれが強くて。そんな中で僕がやろうやろうとしてチームの仲が良くなくなって。最終的に負けたのはそれだからということはないんですけど・・・。普通に相手が高校生でなめていたからだと思います。

――女子は東女体大に1点差で敗れました
固城妃 私は勝った試合ってあんまり覚えてなくて、負けた試合は鮮明に覚えてるんですけど、あの試合は負けたのに全然覚えてなくて。最後は自分がペナルティ取られてペナルティシュート打たれたあの1点で負けたんですけど、そこしか覚えてなくて、私のせいで日本選手権を台無しにしてしまったなと。あのときは自分を責めました。後輩たちは申し訳なさそうにしていたんですけど、あの試合は私が一番申し訳なかったと振り返って思います。

――僅差に追いつめたということで、ある程度納得のいく試合内容だったのでは
固城妃 インカレで勝ったのが偶然じゃないというのは証明できたかなと思います。ワセダもやっとここまできたということで。

「男女の仲を良くしてくれたのは悠佑君」(固城妃)

――主将として過ごした1年間で一番辛かったことは何ですか
三浦 僕はやっぱりインカレ終わった後の1か月ですかね。それまではとんとん拍子にうまくいきすぎて。最後はちょっときつかったですね。何がきつかったって、結果を出せないというのも辛いですけど、チーム内の雰囲気というのも、僕があまり注意とかできない人なので、あんまり雰囲気悪くなったことなかった中でああいったかんじは初めてだったのでどうしようと思ってきつかったですね。水球どうこうの話ではなくて。
固城妃 私はリーグ戦終わった後ですかね。監督が、けっこうキャプテンに任せることが多かったので、任せられたときに同じ学年の人に相談できたら4年生が決めたから、ということになるんですけど、私の場合は一人なので、私が決めたということになるじゃないですか。私が客観的に考えて決めても、やっぱり主観的になっていると周りからは思われるので。オフを返上するかどうかとか決めるのもそうですし、例えばメニューきつくしてと監督から言われたときに、負傷している人が何人もいてちょっと肩が痛くて泳げませんというときも、私は選手を気遣ってメニューを軽くしてあげるべきなのか、監督の「いまはきついメニューにしないと勝てないぞ」という言葉を信じて、それでもきつくするのかという判断を自分でしなければいけないことがきつかったです。インカレ前とかになるとやっぱりみんな燃えてくるのでそこは心配ないんですけど、ちょうど試合がない間とか学生リーグ終わった後とかは自分の中でも迷いがありました。

――その中で3年生が支えていたのでは
固城妃 長島佳世ちゃん(人3=茨城・聖徳大取手聖徳女)以外はみんなため口なので(笑)。小さいころから知ってるというのもあるんですけど、逆にそれが同期のようなかんじも出ていたので相談しやすかったですし、あっちもそういう風に接してくれることで自分も先輩後輩というかべを越えて話せたので、そこはいまの3年生がいてよかったなとすごく思います。

――早大での4年間で一番印象に残っている試合は
固城妃 私は2012年のインカレでまさかの日体大と延長戦まで持ち込んで1点差で負けた試合ですね。後半に入って、これは最後まで競る試合になるな、と段々感じ始めて、これは勝てると思っていったんですけどやっぱり実力差で負けてしまいましたね。あの試合はすごく印象的でしたし、負けたんですけど当時の4年生がすごく喜んでて、初めて4年生が喜んでる顔を見られたという感動が、悔しさはもちろんあったんですけどありましたね。あとは、男子のリーグ戦で日体大と競った試合は男子の試合なのにすごく覚えています。
三浦 自分はいま言ったリーグ戦の日体大戦ですね。それか最後(日本選手権で)負けたのが印象に残ってますね。僕も女子の試合を、上(観客席)からではなくて下(プールサイド)の次の試合を待ってる場所から見てたのがすごく楽しかったですね(笑)。
固城妃 男子が見てるのはクオーター間に女子からも見えてるんですよ(笑)。それで3ピリ目くらいには男子次試合だからいっちゃったね、みたいな(笑)。ことしは本当に男女は仲良かったですね。

三浦は右サイドからチームをけん引した

――お互いはどういう主将でしたか
三浦 僕は小学校の時からそんなに関わりはなかったですけど(固城妃を)知ってて、小学校のときから主将やってたんですよ。しかも小学校って男女一緒じゃないですか。男にでかいやつとかいっぱいいたんですけど、妃美が主将やってたのでそういうまとめるやつなんだなと思っていて、大学になって一緒になって、思っていた通りというか。4年生が一人しかいなかったのできつかったとは思うんですけど。
固城妃 私は(三浦は)主将としての理想像かなと思います。
三浦 口が上手いなー(笑)。
固城妃 私は自分の経験も含めて、自分についてこい、という主将よりは一番後ろで全員を見て後ろから後押ししてくれる主将のほうが理想的だなとずっと思っていたので、そういう面でチーム全体を見れているというのもあるし、男女の仲をここまで良くしてくれたのは悠佑君ですね。ありがとうございます(笑)。
三浦 いやいやそんなことないですよ(笑)。

――早大水球部のチームとしての特徴ってどんなものだと思いますか
三浦 良い意味でがつがつしてないところじゃないですかね。けっこう日体大とかと比べると大分タイプが違うと思うんですよ。あそこはやらされてやらされてってかんじじゃないですか。けっこうワセダって練習時間もそんなに長くない中で上手いことやってるんじゃないかなと。僕はそう思いますね。
固城妃 水球は女子のチームが少ないので、男子と女子両方あるチームは日体大とワセダと新潟産大だけだと思うんですけど、その中でもチームワークとしては一番良いかなと全体を見て思います。女子だけ見ると、とりあえず元気ですね(笑)。すごく元気です。言い方は変なんですけど、マンネリ化しないチーム、というか。常に新しい風が吹いているチームですね。ずっと誰かが騒いでますしシーンとしてることがない。誰かがムードメーカーになって良い雰囲気を作ってくれるので本当にキャプテンとして助かっていましたし一緒に騒げるチームだったので純粋に楽しかったです。変な意味でピリピリしてないので。

――男子部にとっての女子部、また女子部にとっての男子部とはどのような存在なのでしょうか
三浦 1年生からの変わり様が激しすぎて。僕が高校のときも女子部ってあって、中学のときもあって、ずっと一緒にやってたんです。でも大学では女子と距離がある状況が良くないんですけどあって。応援も、女子って試合が朝早くて僕たちは夕方とかなので、ホテルでみんな寝ていようぜ、試合に備えようみたいな雰囲気もあったんですけど、それが年々応援に行くようになったのですごくよくなったのかなと思いますけどね。1年生のとき仲悪かったという訳ではないんですけど。
固城妃 そのおかげで私達も心強かったです。アウェイ感なく試合に臨めたので。あとは試合を観ていてすごく勉強になりました。男子ってこういう水球やるんだなって。もちろん日体大とか筑波大とか観ていても学ぶことはあるんですけど、同じ練習環境の中でこういう風な水球をして男子も監督が毎日はいらっしゃらないので監督がいない中でキャプテンが組み立ててこういう水球をして、こういう風にすれば監督がいなくても勝てるチームになるんだ、とかそういうのは見ていてすごく勉強になりました。

「妹は一番敵に回したくない相手」(固城妃)

――中嶋孝行男子部監督(平13教卒=福岡工)はどのような方ですか
三浦 陽気な方ですね。自分でよく言っておられるんですけど、怒らない。怒鳴ったりきつく言うことはしなくて、静かに言うような。

――木下智貴女子部監督(平24スポ卒=埼玉・伊奈学園)はどのような方ですか
固城妃 智貴さんは私が1年のときの3年なので、監督というよりも先輩というかんじがいまもちょっとするんですけど、選手に一番近い目線でいつも考えてくれるので。私の悩みとかも、智貴さんも自分が主将だったこともあって、私が智貴さんに言わなくても気づいてくれて連絡してくれますし、すごく精神的に支えられてましたね。あとは、場をすごく盛り上げてくれるので、男子にとってはきついところもあったのかもしれないですけど(笑)。私たちにとってはよかったですね。

――男子部の4年生はどのような代でしたか
三浦 上の江崎さん(大地、平25スポ卒=鹿児島南)の代は良い意味でみんな孤立していたので、みんな良い意味で一人が好きだったんですけど、僕たちは固まりたがる、というか、けっこう話し合いあいしたがるほうなので、大分特徴出ていたのかなと感じるんですけど、注意できる人間がいなかったので、そこですかね。仲が良い故に、というか。

――寮生活で思い出に残っていることはありますか
三浦 やっぱり1年のころはすごくイベントが多くて、花見だったり海だったりバーベキューだったり。段々少なくなっていって、シンガポール行ったりとかしてできなくなっちゃったから仕方ないというのもあるんですけど。最後の年は色々遊んだりして水球以外の面も寮で楽しかったかなと。あとは寮の雰囲気がすごく良くて、良い意味で馬鹿してるというか。

――固城妃選手は妹の固城侑美(スポ3=東京・藤村女)選手の存在が大きかったのではないでしょうか
固城妃 こういうこと言って良いのか分からないんですけど、水球面では本当に存在が大きくて頼れるんですけど、生活面ではほぼ皆無に近いですね(笑)。私達、本当に別行動なんですよ、同じ家にいても。帰ってきていることは知っててもリビングで会わない、とかそういう日が多いので、部屋にいてきょう一回も会ってない、とか良い意味で距離がある姉妹なので。だから兄弟喧嘩もあんまりしないですし。私は早い電車に乗って練習に行って、(斉藤)美奈都(スポ3=茨城・聖徳大取手聖徳女)に「きょう侑実は」って聞かれてそういえばいないね、とかそんなかんじなので(笑)。他の人から見たら本当に変な姉妹だと思うんですけど、私たちはそれで上手くやってますね。性格が真反対に近いので。それはお互い理解しているので良い意味で距離を保ってます。姉妹で住んでいるというよりルームシェアしてるかんじですね(笑)。

――プールの外で固城侑選手と水球の話をすることはありますか
固城妃 あまりしないですね。でも、ジャパン合宿から帰ってきたときとかはけっこう話しますね。やっぱりぴりぴりした環境で1週間くらいJISS(国立スポーツ科学センター)に閉じ込められているのでストレスとか溜まっていると思うので。あとはワールドリーグとか世界の遠征から帰ってきたときはけっこう話しますね。あんまりチームの話はしないですね。私も家では水球の話はしないしビデオとかも絶対観ないですし。本当に水球は水球のときだけ、家ではルームシェアっていう私たちにとってはそれがベストな形です。

――固城侑選手に主将を引き継ぐにあたって何か話はしましたか
固城妃 全くしてないですね。例えば私が、こういうときはこうしたほうがいいよってアドバイスしたとしても私にはできるんですけど彼女にはできない、とか私はそういうことできないけど彼女にはできるという個性が全く違うので自分の個性とか考えを妹に押し付けるのは間違っていると思いますし。次は侑美たちのチームなのでそこは私が介入するところではなくて自分たちでまた新しいワセダを作っていって欲しいので、全くアドバイスとかはしないです。もし、こういうことがあったんだよねって言われたとしても、あーそうなんだ、で終わりますね。

固城妃は司令塔としてチームを盛り立てた

――妹の固城侑選手はどんな存在でしたか
固城妃 一番敵に回したくない相手ですね。単純に彼女が上手いっていうのもありますけど、たぶん向こうも私を一番敵に回したくないとまでは思ってなくても違うチームではやりたくないと思ってて。そこは良い意味で競い合いというか。やっぱり侑美がいなかったら中学でも高校でも、大学でも勝ててないなと思います。たくさん助けられました。

――男子部は戸張真寿選手(スポ3=埼玉・秀明英光)が主将を引き継ぎました。どんな選手ですか
三浦 アホですね(笑)。でも切り替えが上手くてやるときはやります。真面目ですね。

――昨年も江崎選手に同じ質問をしたのですが、三浦選手は「腹黒い」と言われていました
三浦 毎回言われてるんですよ。そういうキャラです(笑)。

――戸張選手にはどんな主将になってほしいですか
三浦 いま練習行ってるんですけど、雰囲気とか見てるとどちらかというと「俺が俺が」っていうタイプなんですけど結構上手くやってて。最初は真寿って点を取りたがるというか、自分中心という雰囲気が後輩のときからあったんでどうなるのかなと思ってたんですけど、意外と悪くなくてちゃんと周り見てやってるなという感じで、良かったです。

――固城侑選手には
固城妃 私と違って的確な意見を不快感を与えずにパッと言えるところはうらやましいと思います。でも逆に、私は高校のときに永田先生にサボり屋と言われてて、「お前にはそういう腹黒さとかずる賢さがあるのになんで同じ家にいる侑美には分けてやれないんだ」と私が怒られて(笑)。そういう面でずる賢さをもう少し身につけてほしいですね、主将なので。少々の腹黒さも主将には必要だと思います。
三浦 4年生は腹黒い代だったんだね(笑)。
固城妃 良い意味でサボれて、良い意味で気を抜けると良いんですけど、気を抜かないんですよ。何事にも全力で向かっていくので、たまには気を抜けるときもあっていいんじゃないかなと思いますね。

――新チームにはどんなチームになってほしいですか
三浦 結果は優勝してほしいですね。できそうな雰囲気はあります。女子も何人入ってくるかわからないんですけど、インカレの順位の流れ(女子部はインカレで平成22年の5位から毎年一つずつ順位を上げている)もあるんで。男子も他の大学は戦力がたくさん抜けると思うんで頑張ってほしいですね。
固城妃 男子も女子も優勝してほしいですね。男子は誰が入ってくるかわからないんですけど、女子は私1人が抜けるのに対していま入ってくるのが確定してるのは3人。みんな上手な子たちで、その中にJAPANの子も入ってくるので、史上最強のチームかなと思います。私が抜けてその3人が入ってくるので、きょねんより何倍強くなるんだろうと。ちょっとジェラシー感じますけど(笑)、本当に楽しみですね。全部応援に行きたいくらいです。どういう水球をするのかなと。勝ち負けというより水球の内容とか、スタメンとか、ポジションとか、そういうのが気になりますね。

――水球は続けていく予定ですか
三浦 一応次の東日本リーグにはワセダではなくて別のチームで4月までは出るんですけど、そこからは仕事の関係上土日休みじゃないので出来ないかなと思いますね。
固城妃 私は続けろといま言われていて、まだ迷ってますね。社会人になって選手としてやっていけるのかというところと、やっていけないにしろ私が選手をやると言い張ってチームの足を引っ張るのは目に見えてるんで。だから嫌だなと思うんですけど、でも女子ってインカレ2位でもメダル貰えないんですよ。まだエキシビジョン扱いだったので。だから、メダルほしいな、とか思ったり(笑)。なので、まだわからないのでいまは週3回くらい練習しています。

――早大水球部で得たものの中で一番大きかったものは
固城妃 私は恐れずに発言することですね。やっぱり後輩にも気を使うじゃないですか。それで怒らないといけないときに怒れないこととか人間誰しもあると思うんですけど、そこで私はこのチームの主将で私のチームなんだという自覚を持って、思い切って言ったほうがチームのまとまりが出来たので、思ってることを発言することが大事だというのをワセダで学びました。いままでは監督が絶対で監督の指示に全員が従うとか、高校のときは同期が7人いたので、私が言わなくても周りが言ってくれたり。それで藤村は東女体大と毎日練習するので、高校生が言わなくても大学生から毎日お叱りを受けてたので私は発言しなくても良かったんです。でもワセダに入ってからは発言しないといけないことがたくさんあったのでそこは自分の殻を破ったというか、そういう面で自分が成長できたことが一番大きなことかなと思います。
三浦 人の上に立つことの大変さを学んだことですね。高校生のときは主将やってても監督がいて色々言われてたんですけど、それがなくなって良い意味で視野が広くなったんですよ。だけどその分嫌なところも見えるようになって。例えば練習を作ったときに嫌な顔とかが凄く見えるようになったり。良いところも見えるんですけど、そこがやりづらくて大変だったなと思いますね。良い経験だったかなと。
固城妃 それはワセダならではのことですよね。監督が言うことにはみんなで文句言えるじゃないですか。でも違うんですよね。自分がスイムメニュー作ったからには自分がサークル回れてないといけない。就活明けとかは自分が一番泳げないのに自分がメニューを作らないといけないから、みんなに合わせると自分が泳げなくて、でも逆に自分に合わせるとみんなの練習にならないので、どうしようかなと。

――そこがワセダの良いところでもあるのでは
三浦 そうですね。
固城妃 そういうところからコミュニケーションが取れたりします。

――ありがとうございました!

(取材・編集 角田望、森健悟)

終始明るく取材に応じてくださった両主将

◆三浦悠佑(みうら・ゆうすけ)(※写真右)

1991年(平3)7月14日生まれ。京都・鳥羽高出身。スポーツ科学部4年。水泳部水球部門男子主将。固城妃選手いわく、男子部と創部間もなかった女子部との仲が良くなったのは三浦選手のおかげなのだそう。対談中も女子部の話題もふんだんに話してくださり、男子部だけでなく早大水球部全体への愛が伝わってきました。

◆固城妃美(こじょう・ひみ)

1991年(平3)4月7日生まれ。東京・藤村女高出身。教育学部4年。水泳部水球部門女子主将。ことし実力者3人の入学が決まっており、更なる躍進が予想される女子部については「史上最強のチームかなと思います。ちょっとジェラシー感じます(笑)」。引退しても週3回ほど練習に顔を出す後輩思いの固城妃選手は、新チームの試合を観るのが楽しみだそうです。